2007年8月13日、米軍ヘリ墜落事件から3年が経過したこの日。
理事長・学長が3年目を迎えてメッセージを発表した。

理事長・学長 渡久地 朝明

 2004年8月13日に米軍ヘリコプターが旧本館ビルに激突し、墜落・炎上してから3年を迎えました。当時、本館ビル内にいた職員は、直ぐに脱出・避難したため、奇跡的に人的被害を免れました。事故発生直後から米軍が現場を強制的に封鎖したため、大学は騒然となり、一時混乱は頂点に達しました。米軍は、墜落機体を搬出するまでの間、現場を封鎖し続け、本学関係者の本館ビルへの立ち入りも拒否するなど、大学の自治を著しく侵害し続けました。
 本学は、米軍ヘリコプターの墜落後、直ちに「米軍ヘリコプター墜落事件対策本部」を立ち上げ、学生・教職員の安否を確認し、緊急声明を発表、関係機関への協力依頼・抗議活動・情報公開を行いました。また、その後も関係機関への要請行動や各種協議を行い、数限りない視察要望や報道機関取材などへの対応を行いました。
 その後約2ヶ月が経過した頃、対策本部を対策委員会へ移行し、当初から行ってきた、1.大学機能の回復、2.被害補償、3.事故原因の究明を中心に対応を行ってきました。
大学機能については、事故当時から回復に奔走し、しばらくは仮設のプレハブ校舎内で業務を行いました。その後、新本館を改築し、そこで業務を再開することで最終的な機能の回復を図りました。被害補償については、建物と経費に係る補償要求・受取を完了しています。事故原因の究明について、当初から働きかけを行いましたが、最終的な究明については、関係機関にゆだねることになりました。noflyzone
 本学は、8月13日を迎えるたびに、米軍ヘリコプターの飛行に対する抗議と牽制の意味で、毎年行動してきました。1年目は、本学5号館屋上に「NO FLY ZONE」のアドバルーンを掲揚、2年目は、建築中の新本館の屋上付近に「NO FLY ZONE」の横断幕を掲揚、バルーンを空に向かって放ちました。そして3年目の本日は、「NO FLY ZONE」の横断幕を新本館屋上に、上空に向けて設置いたしました。
 また、墜落事故跡地の取り扱いについては、当初、壁を技術的に可能な限り取り外した後、それを他の場所に保存して本館の復元を優先させ、残し方について議論していくこととしました。2006年11月11日新本館が竣工し、その周辺整備を行い、米軍ヘリコプター墜落炎上の際に旧本館と同様に被災した焼け焦げたアカギの木を残し、小公園を設置しました。アカギは、事故当時の姿を残した唯一のものであり、事故の重大さを印象付けるものとなっております。そのアカギを取り囲むように周辺を整備したのは、事故のことを忘れず、記憶として残していくためであります。一般の方にもご覧いただけるように開放しております。
 取り外した壁については、「墜落事故跡地取扱いに関するプロジェクトチーム」を編成し検討してまいりました。検討の結果、2007年7月18日の米軍ヘリコプター墜落事件対策委員会で、その小公園内に3枚ある壁の1枚を保存しモニュメントを設置することを決定しました。今後開かれる理事会において最終決定を行い、跡地整備を完了いたします。また、事故に関する一連の資料を図書館で収集・展示を行うため準備を進めております。
 3年を経過した今もなお大学や宜野湾上空を飛び続ける米軍ヘリコプターは、大きな不安を与えています。変わらない現状に対して、憤りの気持ちを禁じえません。
本学は、米軍ヘリコプター墜落事件対策委員会を本日付で解散いたします。しかしこれまでと同様、機会ある度に「普天間基地を使用する全ての航空機の飛行停止」「普天間基地の即時撤去」「日米地位協定の改定」を要求して参ります。
 静かで平和な環境での教育活動・学問研究に専念することが大学の本来の使命であり、それを全うしていくために、今後とも皆様のご理解を賜りたいと存じます。      

2007年8月13日

NO FLY ZONE コンサート2007
 2004年8月13日の米軍ヘリ墜落事故から3年が経過した。当時、大学1年生だった学生たちが4年生になり、事故を語り継ぐために声を上げ立ち上がった。彼等が卒業すると事件のことを直接体験した者がいなくなってしまうことから、4年生を中心とする学生たちが、「NO FLY ZONE コンサート 2007」を2007年8月12日、セレモニーを13日に開催した。
 12日の当日は、全国から1400通以上も集まった事件等に対する川柳や、模型で再現した墜落した米軍ヘリの墜落までの飛行経路など、当時を振り返る資料が数多く展示された。また、普天間第二小学校の生徒たちによる絵画も展示され、絵を描いた小学生たちが大学を訪問し、事故のことを学習していた。黒焦げになった壁の巨大写真のメッセージボードも企画され、参加者のメッセージがいくつも貼り付けられた。コンサートでは、本学ゆかりの県内若手ミュージシャン等が参加し、事故の記憶の風化に対する危機感を歌に乗せてメッセージを発信した。
 翌日の8月13日にはセレモニーが開かれ、事故発生時間近くの午後2時には、実行委員のほか、賛同者数十人が黒焦げになったアカギの公園内に集まった。実行委員長の社会文化学科4年生の高橋正太郎君は、「無くさなければならない基地の存在や恐怖はそのままで、無くしてはならない事件の記憶は薄れている。」と記憶の風化に危機感を示し、事故の記憶を後輩学生らに語り継ぐ決意を表明した。
 いつの日か、普天間基地が撤去され、「NO FLY ZONE コンサート」が、「HAPPY SMILE ZONE コンサート」に生まれ変わって、続けられていくことを願いたい。
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