学 長   波 平 勇 夫
 

 大学のインヴォリューションは大学の内部点検、そして絶えざる見直しであり、大学の理念や教育目標の実現に向けた内部最適化の追求である。それは学部学科の新設や見直しなどの外郭的な組織改革に対し、効率化を目指した内部態勢の精緻化という内部見直しになる。
 この作業は大学の全般的な業務にわたるが、もっとも典型的には教育実践に求められよう。その意味で大学のインヴォリューションは、狭義には教育改革を意味することになる。本学が平成7年以来推進してきた大学改革は、学部学科の改組転換という教育の外郭組織の変革であり、いま商経学部の改革(2学部4学科への改組)を終わって一息入れてみると、本学は教育改革の組織的な取り組みが遅れていることに気が付く。いま本学は組織改革から教育改革へ移行する段階にきており、本格的な大学改革はこれからということになる。そこで教育改革の工程表を基本的なところから取り上げてみたい。もちろんここで細部にわたる展開はできないから、その項目を示すだけにとどめたい。
 先ず出発点は大学の理念、或いは教育目標の確認である。理念や目標のない実践は自閉行為であり、実践のない理念は空虚である。幸い本学は平成15年に初めて全学的に理念を確定した。各学部学科は、全学理念を踏まえて個別理念や教育目標を確立しなければならない。教員は教壇に立つと専門家として知識を伝授する役目があることから、理念や教育目標について何となくわかっているつもりでいるが、それは往々にして曖昧なものでしかない。理念や教育目標を理解していることが、教授効果や学習効果に影響するという研究成果を改めて確認しておきたい。
 次にくるのは、教材開発である。学習指導要領に裏打ちされた小中高の場合とは異なり、大学のカリキュラム構成は最小限の法的基準(或いは資格・免許に関わる履修基準を含めて)を除いて、大学の自由裁量に大きく依存している。教材、そしてその一つである教科書の選択もそうである。これまで教員はどちらかといえば学生の学習効率というより、自分の専門レベルを基準にして教科書を選択してきたといってよい。エリート養成時代の大学は、それでも学生はついてきたし、教科書も買って所持していた。この頃の学生は教科書を持たない。教科書に頼っていては学生の授業離れを招く。そこで新聞切り抜きや他のコピー資料を補助教材として準備しなければならない。
 授業を魅力あるものにするため、最近ではビデオ(視聴覚)教材を併用するケースが増えた。小中高の授業だけでなく、自治体や会社のセミナー、講演、研究会などでも情報機器は威力を発揮している。むしろ大学が遅れているような印象を受ける。情報化時代にマッチした教材をいかにして求めるか、これが今差し迫った大きな課題である。教える側にとって使いやすい教材、学習者の興味と理解度に合わせた教材をどう探すか。
 この二つの基準を満たすためには、たぶん自分で作る以外にないのかも知れない。もちろん、教材作成にはかなりの時間、労力、そして費用が必要である。また一人の能力には限界がある。そこで私が今考えていることは、各学科、或いは関連する専門領域で共通する教材を共同で開発することである。時代性を考慮すれば、当然、情報機器の操作が要求されよう。しかし全ての教員に機器操作を要求することは困難を伴う。そこでソフト開発に関しては、その筋の専門家を配置する。そして教材内容を精選する教員と、それをテクニカルな面から教壇向けに教材化する専門職員の共同作業(室)が必要になる。このような教材開発室が情報センターの業務の一つとして設置できないものかと考えている。
 次は、授業研究である。この頃はFD(Faculty Development)という言葉が大学で広く聞かれる。本学でも平成14年12月にFD委員会の設置が決まり、本年4月から始動している。FDは「大学における教育向上のための組織的支援活動」という定義からすれば、その内容は広いが、狭義には授業研究がその中心をなす。授業研究とは、単純化すると効果的学習のための効率的指導法の開発ということになるが、学習者は選抜されて入学してくるとはいえ、多様化した学生であるだけに実際は単純ではない。
 最近よく耳にするのが、ディベート方式授業である。これは、表現力、説得力、討議力、集団的思考などを高めるにはよい。半面、方法は目標や内容に従属することから、使用する場合の適時性、授業内容、頻度、リアリティ(ままごと遊びではない)の設定など応用面の課題が多い。課題研究学習は共同学習と併用して古くからポピュラーな授業形態だが、ゼミはともかく、教養教育を中心とした授業でどのように活用するか、教える側の共同研究テーマになろう。
 レポートや試験の課し方、採点後の返却方法、板書の仕方、年間授業計画(シラバス)、成績評価法など、従来、小中高の教員に要求される専門技能と見られていたものが、今は大学教員にも要求されるようになった。大学は正に「教育の時代」を迎えたといえる。これは大学を取り巻く環境の変化(例:少子化や学生の多様化)による大学の変質の結果ともいえるが、顧客(学生)を重視する教育機関になったということでは広く賛同が得られよう。
 結局、今の大学にとって学生への教育サービスを高めることが生き残りのための最大戦略であり、一番の広告塔ということであれば、躊躇している余裕はない。我々の改善努力は、学生による個別授業満足度と学生生活全般に対する総合満足度とである程度測定でき、具体化できるだろうから、この数値を手掛かりに絶えず自己変革を重ねていくことが求められよう。そのための組織的な取り組みが必要になってくる。

 
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