2006年年頭挨拶
“過去の人智の蓄積を学び、それを後世に伝える”

学長
渡久地 朝明
 本年も良い年であって欲しいものである。本年の夏には、一昨年の米軍ヘリコプター墜落によって使用不能となった1号館が完成する予定で、これでようやく事故で損なわれた教育現場の物理的な部分は一様回復する。次は、遅滞を余儀なくされた教育内容を回復しなければならない。失速せざるを得なかった本学の教育内容充実のスピードアップをはかるのである。世は就職難の時代である。大学も学生の就職と真剣に取り組む以上、どうしても就職に有利な教育を工夫することになる。また、学生も職業に直結する分野に進路を取ることになる。大学の高等教育といえども経済の市場原理の影響を受けて変化していくことになる。しかしである。
 曲亭馬琴の「椿説弓張月」に以下のくだりがある。「−宜野湾の西南に亀山あり、この処より首里に属す。亀山の麓を末吉と唱ふ。末吉の南に西儀保あり、朱平村の北をなべて儀保と喚(よび)なせり。儀保を越れば赤平なり。赤平に石虎山あり−」これは驚くべき記述である。200年も昔の、しかも江戸にいた馬琴が書いたとは思えないほどに沖縄の地理の詳しい。当然馬琴がこのくだりを書くに当たっては参考資料が用意されていたのだろうが、それにしてもよくも調べ上げたものだと後世のわれわれは感心する。当時の琉球からの「江戸のぼり」の使節の一行から資料を得たのか、あるいは直接使節から聞き書きをしたのか、その一点でも十分に知的興味をそそられる。「弓張月」にはこの部分に限らず、沖縄の地名や人名が驚くほど多数出てきて、それを知る人の心を実にわくわくさせてくれる。読む人は200年の時空を超えて馬琴と心が通じ合うのである。記述の中の「亀山」というのが、もし現在の首里の末吉宮の山を指しているのであれば、逆に200年昔は亀山という名であったのかもしれぬと思いはじめるくらいである。また、「石虎山」というのは最近まで虎(とら)頭山(ずやま)と呼んでいたから、名称は十分類似している。これも石虎山が実名かも知れない。言われてみれば、あれは虎の頭の形というより、虎の姿をしていた。朱平村も存在したかも知れないと思うくらいである。また別の箇所には、「琉球にては、小女子(をとめこ)等(ら)が板舞の戯(あそび)といふことをする也、その光景(ありさま)巨(おほき)なる板を木(き)椿(まくら)の上に横たへ、両頭の下を空しうすること二三尺ばかり、二女(ふらりのをんな)板の上に對(むか)ひ立ちて、一(ひとり)起(あが)れば一落(ひとりさがり)、勢ひに就(つき)て、躍(おどり)起(あが)ること五六尺に至る、しかれども、傾跌欹側(つまづきふみはずす)ことなし、〜龍譚に水に舟を浮かべてー」云々とある。この記述は、当時の沖縄の乙女が恐らく多くの観衆の前で、今日のロシアや上海のサーカス団が見せるような演技を見せていたことをわれわれに知らせていまいか。演技する乙女子たちの面目躍如たる姿が丸で目に見えるようではないか。「弓張月」は、「南総里見八犬伝」の作者である馬琴の作品であるから、話の内容は「八犬伝」同様にまったくのフィクションである。しかし、登場する地名や人名には実に詳しい調査がなされている。
 学問は現在の「用」に応えて新素材や新薬を開発して人類の福祉を向上させもするが、本来の役割は、過去の人智の蓄積を学び、それを後生に伝えることである。すなわち、時代の求める「用」に従い変化する部分も、時代に左右されない部分も大切な学問の分野である。2006年の年頭に当たって、本学の教育が、この両方を兼ね備える幅広い内容となっていくように希望したい。
 
恵まれた教育研究環境の中で、
充実した学生生活を。
後援会会長 池田 光男
 
 皆さん!新しい2006年が明け、おめでとうございます。
 学生、保護者、教職員の皆さまにとりまして、良き一年でありますよう、祈念致します。
 
 さて、昨年の沖縄国際大学は三重の喜びに溢れた年となりました。先ず、大学基準協会の認証評価を受け、基準に適合しました。次に、2005年度の文部科学省「特色ある大学教育支援プログラム」に、本学の教職課程の取り組みが採択されました。更に、2004年度の文部科学省「現代的教育ニーズ取組支援プログラム」に、本学の産業情報学部が、琉大工学部、県立芸大デザイン専攻の2大学と連携して応募、採択されました。この三分野のプログラムで文部科学省に評価を受け、採択されたのは、県内では本学だけで初の快挙です。このように、充実の一途をたどっている本学の教育研究にエールを送ります。
 ところで、学生の皆さんは本学を支援する組織に「後援会」と「校友会(OB組織)」があることをご存知ですか。後援会とは、小・中・高校でいうPTAのことで、本学の教育事業を支援する組織です。毎年、予算の約半分を学生補助金や奨学金、教育研究費として本学へ助成しています。そればかりではありません、「厚生会館」や「沖縄国際大学東村セミナーハウス」も校友会と共同で建設し、大学へ寄贈しました。学生の皆さんは、恵まれた教育研究環境の中で充実した学生生活を送り、それぞれの目的実現のために励まれるよう念じて止みません。
 
新年を迎えて
校友会会長 岸本 惠常
 
 新年おめでとうございます。
 2006年の新年が明け、新しい一年のスタートラインに立ちました。
 
 「一年之計在于春」という漢語があります。一年のはかりごとは春にあるという意味ですが、「一年の計は元旦にあり」という馴染の諺の原語です。また、「一日之計在于朝」、一日の計は朝にあるともいいます。はかりごとは年の初め、一日の初めにあると強調していますが、何事も初めが肝心であると理解できます。陸上競技の百米走でスタート・ダッシュがゴールの結果を左右すると言えば、門外漢でも納得できます。長距離はその延長線と考えればよいです。
 私たちは、一日、一年という時の単位を連ね、または積み重ねて、その線上に生きています。また、長い人生には大きな節、小さな節、さまざまな節が織り成しています。その節目節目は私たちに新しいチャレンジの機会を平等に与えてくれます。この機会をどのように生かすかは、この機会にどのようなスタンスで臨むかに関わっています。つまり、周到に臨むことによって目的成就の確率が高まることは必定です。
 毎年訪れる新年、毎日訪れる朝に臨む不断の心がけは人生を左右します。漫然とくる年くる年を迎え、無為に日々を過ごすことは勿体無いことである。まして若い人においてはである。若人の特権は遠大な志を抱けることである。一年一年をその志の成就への一里塚として日々努力することが大切です。
 新年の新しい節目に立って、ことをはかり一年を有意義に送りたいものです。
 
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