あじまー32

※あじまー:沖縄方言で交差点の意 卒業生から後輩へのメッセージのコーナー

あじまー32では、ジェフユナイテッド市原でコーチとして活躍している石川研さんにご登場いただきました。

プロフィール
石川 研 (いしかわ けん)

石川さん写真 1988年 3月 沖縄県立 石川高校卒業
1988年 4月 沖縄国際大学 商経学部 商学科入学
1992年 3月 沖縄国際大学 商経学部 商学科卒業
 
【現在までの経歴】
1992年 Jリーグ名古屋グランパスエイト入団(1993年Jリーグ開幕)
1997年 JFLブランメル仙台へ移籍
*1999年 J2リーグ発足に伴ってベガルタ仙台へ改名
2001年 J2水戸ホーリーホックへ移籍
2003年 J1ジェフユナイテッド市原へ移籍
2004年 シーズン前に現役引退。ジェフユナイテッド市原でコーチに転身
2006年 コーチ業も3年目を迎え現在に至る。

■【現在のお仕事】

 ジェフユナイテッド市原・千葉 育成部ユースでコーチをしています。
 高校生年代を指導して、トップチームへ昇格するような選手達を育成しています。
 育成部のコーチは指導だけでなく、チームの運営も大事な仕事です。
 会費を徴収したり、遠征を企画したり、予算の管理も大変です。
沖国大では商学科だったので、収支の計算なんかは割とすんなり処理できて、こんなところで生かされるとは思っていませんでした。

■【大学時代の思い出】

 1・2年生の頃はあまり真剣に勉強してはいなかったです。サッカー、バイト、3番目に勉強というのがホントのところでした。おかげで3・4年生のとき苦労して単位をとっていたのが今では、いい思い出です。
商学科に入ってから金融、経営に興味を持ったように覚えています。
 いろんなバイトもしました。スーパーのレジ、生地の卸、CDレンタルショップなど、そんなことをしているうちに社会的なことを覚えていきましたね。
 田舎の高校を卒業して沖国大に入っていろんな刺激を受けて、何でも出来そうな気分でした。今考えると怖いもの知らずで、恐ろしいですが・・・。

■【Jリーグ時代の思い出】

 初めの2年間は本土での生活に慣れるのと、当時は沖縄のサッカーは、本土に10年遅れていると言われていた時代でしたから、レベルの高いサッカーに慣れることに費やしました。
 プロ2年目(1993年)のJリーグ開幕戦では、ほかのGKの怪我などで控えに登録されて、ベンチに座っていました。カシマスタジアムで0−4と負けてしまいましたが、満員のスタジアムに鳥肌が立ちました。
 3年目、試合で右ひざの靭帯を断裂して8ヶ月リハビリの日々が続いたとき、開き直って物事を考えられるようになって、復帰したときは怪我する前より技術的にも精神的にも良くなりました。4年目に現在イングランドプレミアリーグ、アーセナルの監督をしているアーセン・ベンゲル氏が監督に就任して、私をトップチームに引き上げてくれました。その後2年間でJリーグ上位、天皇杯優勝とJリーグのトップレベルでプレーできたことは貴重な体験でした。リネカー、ストイコビッチ、といった世界的な名選手と一緒にプレーできたことも良い思い出です。
 名古屋で5年、仙台で4年、水戸で2年、千葉で1年プレーして、大学を卒業して12年間、沖縄にいた頃には考えられないような場所で生活が出来たことも経験になりました。

■【後輩へのメッセージ】

 しっかり勉強して(単位を取って)ください。特に1、2年生。私のように3、4年で苦労します。運よく沖縄初のJリーガーになりましたけど、当時は卒業できるかどうかというくらいギリギリだったことも事実です。その私が言うのもどうかと思いますが、まじめに講義を受けてください。時間に余裕があるならバイトもしたほうが良いですよ。高校、大学では教えてくれない社会のことを教えられます。
 最後に、何でも思いっきりやってみてください。勉強、サークル活動、合コン、恋、バイト、家の手伝い(シーミー、ウークイなど)。バイタリティがないと、沖国大生は勤まりません。何事も経験。人生チャレンジしてナンボです。