ヘッダー
2006年度国外研修員として、昨年4月から1年の期間、産業情報学部 大城建夫教授が中国の福州大学で、
総合文化学部 兼本 敏准教授が中国・マカオ大学で研究調査や資料収集を行いました。
そこで、今回お二人に1年間の国外生活を振り返っていただきました。
福州での国外研修雑感                産業情報学部 教授 大城建夫

 私の研修先は、福州大学であった。福州大学は、かなり大きなキャンパスを持っており、近くには海に流れる(みんこう)があった。の川岸は計画的に整備されていてどこまでも続く長い公園となっていた。市民には、無料で開放されており、家族連れによる朝、夕の散歩、市民合唱団、社交ダンス等で楽しんでいた。
 時々、私自身散歩しながら、福州市の財政の豊かさと市民サービスの提供に感心させられた。また、福州市内でも高層ビルやマンションの建設は、盛んであったが、個人や中小企業でも投資資金の流れに偏りがあるのではないかということも感じた。
 比較的季節のよかった10月中旬に福州市から離れて、華東地区(南京市、無錫市、蘇州市、杭州市)を調査してきた。その華東地区でも、目立つものはビル、高層マンションの建築工事、高速道路の拡張工事等であった。10月25日には、蘇州の蘇州国際博覧センターで開催された中小企業国際大会に参加した。台湾、香港、日本 、シンガポール、ベトナム、インド、ドイツなどの国の企業が参加し、設備、機械、部品等の見本と宣伝販売で活況であった。近くの会場では、中国への投資、共同経営などを中心とした講演、報告等も行われた。私自身、会場の熱気とともに、中小企業でも既に中国での経営活動が盛んであることも実感したのである。同時に、中小企業の保護育成のための法整備や融資制度を透明化し、充実するための財務的信用制度(会計基準の遵守と監査)の確立が必要ではないかと考えたのであった。フォト1
 研修期間中は、福州大学の陳国宏教授、廬偉国際交流センター所長、毛敏会計ソフト会社社長、寿卓群高級会計師の方々に資料収集等でお世話になった。紙面を借りて感謝したい。私の研修期間は、1年間であり、その調査、資料収集、見聞も広い中国の限られた場所であったが、中国経済社会の現実は、私の心にインパクトを与えるのに十分すぎるほど強烈なものがあった。これからもダイナミックな中国の動きに関心を持ちながら、研究、教育等に役立てたいと思う。

中小企業国際大会会場にて
マカオ大学での1年               総合文化学部 准教授 兼本 敏

 研修先は姉妹校でもあるマカオ大学であった。沖縄からは台湾で乗り継ぎマカオ空港に降りるか香港からフェリーで入国するかである。マカオは1999年に中国に返還されたが一国二制度の政策下で香港同様に自治権を維持している。
 マカオの紹介を見るとポルトガル語と中国語が公用語となっていた。しかし、実際には広東語が実用され、標準語である普通話(北京語)は通じなかった。ところが滞在3ヶ月目(2006年7月)には普通話が当然のように通用した。かつての日本のバブルを髣髴させる建築ブームの到来で、労働力を中国内陸に求めた結果である。更にカジノを楽しむ観光客が主に上海、広州、福建からの中国人であることも要因である。広大な国土を持つ中国には多数の方言が存在し、相互理解には国定の言語=共通語が必須となる。マカオの経済も労働力も中国に依存している。マカオの経済は標準中国語(普通話)と英語が重要となり、広東語と標準中国語の差異が問題視され始めていた。
 マカオ大学で「第二回海峡両岸現代漢語学術研討会」に参加する機会に恵まれた。以前は台湾問題がメインとなったトピックが、広東語を主に標準語と方言の違いから生じる問題を活発に討論した。広東語で音訳した吉列(カツレツ)が中国人観光客には理解できなかったり、本来は銀行/信用(バンクカード/クレジットカード)が銀行/信用となったりで困惑が生じていた。フォト2中国ではマツダは音訳で「馬自達」だがマカオでは広東語音の「萬事得」と表記されていた。非漢民族が中国を統治した時期(特に清朝時代)には漢字と満州語が併記された。実際マカオの街中でも広東語の語彙と普通話の語彙が混在していた。私自身も滞在中に普通話ではホテルを示唆する「飯店」が広東省では文字通り「レストラン」を紹介されたり、語彙の使い分けに戸惑った。
 急激な発展の中で、マカオは経済面だけでなく教育面でも解決を急がなければならない問題が多々あるようだ。言語教育の影響力と重要性を体感できた貴重な経験であった。

萬事得の表記は上記の下線部の意味となる。
戻る トップ 次へ