人間は不便な生き物だと思う。いたずらに過去の幸せを想起したり未来の幸せを思い描くばかりで、目前の幸せを感知する能力が欠如している。しかし、目下の不幸せは敏感に察知して大いに不満を抱く。健康の全(まった)き人は健康のありがたみを感知できない。ましてそれに感謝することはない。恵まれた環境にある人たちは自分に与えられている幸せを感知できないのである。人は大いなる幸せの中にあってなお小さい不足を見つけては自らの心に不幸な思いを招き入れる。
 昔、偽学生というのがいた。大学生でない青年が大学に潜り込んで講義を聴いたり、ノートを取ったりしたのである。今の人には俄かには信じられないだろう。当時の社会は貧しくて大学教育が許される若者は極めて少数で、大方は進学を断念せざるを得ない境遇にあった。そうした中で、向学の思いを断ち切れぬ若者が大学の教室や図書館で勉強することがあったのだろう。現在なら、彼らのいじらしいほどの大学教育に対する憧憬の念に同情したり、燃えんばかりの知識欲に拍手する人の方が多いと思うが、当時は学生証の提示を求めたりしてそういう若者たちを取り締まっていた。
 それから時は流れた。しかし、いくら時代が移っても大学で学ぶことが大いなる幸せであることに変わりはない。進学率上昇の今日でも、大学教育の機会が与えられない若者は大勢いる。学生諸君は大学教育が受けられることを天与の幸せと認識し、学びたくも希望がいれられない不運な若者たちの心を思い、大学で学ぶ幸せを享受し、それぞれの明るい未来を切り拓いて欲しい。
 

 
2004年度 国外研究員報告
2004年度国外研究員として、4月から経済学部呉錫畢教授がアイルランド国立大学(Galway)で、経済学部梅井道生教授が英国、シェフィールド大学で研究調査や資料収集を行いました。そこで今回お二人に1年間の国外生活を振り返っていただきました。
 
恋の町アイルランド
経済学部教授 呉 錫畢
 研修先としてアイルランドに着いたときは4月で、初めて迎えてくれたのは綺麗なピンク色の桜と、韓国では春を知らせる花でもある黄色いレンギョでした。日本とそれほど、変わらない春の姿に、肌寒い季節のなかで凍っていた心を温かくしてくれました。私にとってのアイルランドは、北アイルランドと混同して、イギリスの一部分として考えたことがある、無知からの始まりでした。
 しかし、アイルランドは、知れば知るほど、噛めば噛むほど味が出てくるスルメのようでした。癒し系の歌手のエンヤ、ノーベル文学賞受賞者である詩人B.T.イェーツ、毒舌家としても有名な劇作家J.バーナード・ショー等。ケルトの文化、歴史、また、現在の経済成長ぶり、無知から砕かれた新鮮なショック、時には生きる希望をも与えてくれました。
 すでに、アイルランド滞在中には、「ケルトのトラ」というタイトルで沖縄タイムスの文化欄に月一回、掲載させて頂きました。詳しくは、そのエッセイにゆだねることにします。
 研修先としてのアイルランド国立大学(Galway)は、1845年度に創立され、現在、40カ国の海外からの留学生を含めて15000人の学生が在籍しています。お世話になった経済学科は、20名のフルタイムの教育スタッフ、5人の教授、また、25人のPhD学生、1800人の学部学生が在籍していました。
 博士課程での講義は、大学院生が日ごろ、担当教授からの指導を受けて年一回の研究成果を報告することでの授業でした。教わる立場で椅子に座っただけでも幸せでした。特にTom先生、PhD学生のEmlynとの出会いは、これからの研究生活の糧になるでしょう。院生らは自由に調査、研究を行うことで、実に学問の自由を満喫し、また、セミナーが終わった後のカレッジバーでの冷たいギネスビールと熱い激論、また出会った恋人ら(?)、切なく恋しくなるこの頃です。

アイルランド国立大学(Galway)の本館。春は緑色、
秋は紅葉のキャンパスは実に美しい(2004年度10月撮影)
 
シェフィールド大学での研修を終えて
〜意外な沖縄の再発見〜
経済学部教授 梅井道生
 2004年4月1日、成田発、フランクフルト経由マンチェスター行きの飛行機は、無事到着した。早速タクシーに乗った。道中、シェフィールドに着くまで、運転手に色々質問してみた。マンチェスターはF.Engelsが紡績工場を経営した所であり、Marxが『哲学の貧困』を執筆した所である。 これについて聞くと「全く知らない、第一コミュニストは嫌いだ」と言う返事。代わりに沖縄を知っているかと聞くと「よく知っている」と言う。これは驚きであった。例えば、中国や韓国で同じ質問をしたら例外なく「知らない」と言う返事が返ってくるであろう。後、道を歩いている小学生、中学生にも同じ質問をしてみたが、よく沖縄を知っていた。イギリス人は一般的にアメリカ人に批判的で、沖縄の基地問題に同情的であった。この点は、イギリスのマスコミが詳細に報道しているようだ。
 さて、私の研修先のシェフィールド大学は、総合大学であるが、医学部、法学部、東アジア学部が特に有名である。私は、東アジア学部の日本研究学科に所属した。主任教授は、Glenn.Hookさんで、国際政治学の権威である。東京大学の国際的評価第三者機関の委員を務めている。このHookさんとはあるシンポジュウムを通じて、沖縄で知り合った。Hookさんは大の沖縄ファンで、学生時代、沖縄海洋博のアルバイトのため1年間住んだ。また奥さんは、元宝塚女優で、沖縄で知り合ったそうである。彼の現在の研究テーマは「日米安保条約と沖縄」である。また日本研究学科では沖縄研究が盛んである。例えば、若手の研究者のHugo.Dobsonさんは沖縄サミットの国際的意義についての著作を出版しているし、Yoko.Sellekさんは少数民族との関連で沖縄研究をし、Richard.Siddleさんは琉球大学においてアイヌと沖縄の比較研究を行った。このように、日本研究学科は、沖縄研究学科と言う感が強い。遠いイギリスで沖縄研究が行われていることは注目されてよい。もし将来、本学との連携が出来れば、沖縄とヨーロッパの掛け橋の構築が可能となろう。

【Hookさん(中央)の家にて】同じ客員教授の
工藤 章先生 (東京大学教授・写真左側)と一緒
 

 
◆フランス国立レンヌ第2大学と
  学術交流に関する協定書調印
(本学9番目の協定校となる)
 本学は7月6日、厚生会館4階ホールにてフランス国立レンヌ第2大学と学術交流の調印式を行った。調印式にはレンヌ第2大学から、マリー=クロード・ルボット副学長、雨宮裕子日本語科主任助教授らが出席し、本学からは渡久地学長他、学部長、国際交流センター所長が出席した。
 

渡久地学長(左)とルボット副学長(右)
 
 本学が国外大学との学術協定を結ぶのは、9校目となり欧州の大学と協定を結ぶのは初めての試みとなる。渡久地学長は「協定がグローバル時代にふさわしい人材育成に貢献することを期待している」と挨拶した。ルボット副学長は「レンヌ第2大学が位置する場所は沖縄と同じ独自の文化を持つなど共通する点が多く、今後の交流は重要である。幅広い交流を行いたい」と期待を寄せた。今後は、学生間の交換派遣や教職員の交流などを行う。
 8日の記念講演会では、レンヌ第1大学政経学部のマルク・アンベール教授が「環境主義−政治経済学におけるフランスの研究からの有用な概念」のテーマで講演、レンヌ第2大学の雨宮裕子日本文化研究センター所長が、ブルターニュの人々がフランスの文化を強要された歴史を背景に、異教の要素を盛り込んだ伝承や習俗、村祭りや宗教美術に色濃く継承されているブルターニュ独自の伝統文化を紹介した。
 
フランス・レンヌ大学の概要
 フランスの地図上で赤くなっている所がフランス西部に位置するブルターニュ地方です。レンヌ市はそのブルターニュ地方の東部にあり、同地方の中心都市として人口約22万人を擁する、フランス国10番目の中規模都市で、フランスの中で最も住みやすい街とされています。
 レンヌ大学は、レンヌ市内北西部のヴィルジャン地区とラ・アルプ地区に位置して、約12万平方メートルの広大なキャンパスに、美しい芝生を間に置いて研究棟、抗議棟、図書館、学生活動棟などが立ち並んでいます。学部・研究科としては、「芸術、文学、コミュニケーション」、「多言語」、「人文科学」、「社会科学」、そして「健康・体育」の5つの学部があり、学生数は大学院も含めて約21,500人、教員数は約630人、職員数は約430人います。
 
<< 前のページへ 次のページへ >>