私の任期の4年間を振り返ると、やはり平成16年8月13日に起こった米軍ヘリコプター墜落事故の後処理問題の解決に終始したと言える。具体的には、事故により使用不能となった本館の撤去作業、そして新本館の建設であった。その大仕事の合間に多くの問題に取り組んだが、実現したのは、概ね次のことである。1.学生および教職員用の駐車場の拡大、2.三研究所の統合、3.副学長制度の導入、4.国際交流の活性化(フランス、レンヌ第2大学との協定締結、米国ヘンダーソン大学との協定締結に着手したこと)、5.危機管理およびハラスメント規程の整備、6.いわゆる本学の表2教員※の学部間配置の問題、7.中長期経営計画の策定、8.就業規則の改正等々。
 私が就任後真っ先に取り組まねばならなかった仕事は、学生および教職員の駐車場の確保であった。当時の本学の駐車場の状況は最悪であった。正門前はおろか第1、第2、第3の各駐車場の周辺は学生の車が列をなして、近隣の人たちの生活に大きな支障をきたしていた。
大学に苦情が殺到した。激しい声で叱責する電話がひっきりなしで、そのために何人にもの職員がノイローゼ気分になっていた。教職員の駐車場も絶対的に不足で鍵をつけたままでも車を止めることができない有様だった。早速大学をあげて取り組んだが、すっかり市街化した大学周辺に駐車場の用地を見つけることは困難であった。しかし、何とか事務局長をはじめ多くの事務職員の皆さんの努力で大学の近くに用地を探し当てることができて、理事会の承認を得て購入し駐車場を拡大した。学内の緑地やテニスコートまで駐車場に利用して、やっと学生、教職員の駐車場の状況が好転し、近隣の家から苦情がこなくなった。
 就任後4ヶ月に、あの8月13日がやってきた。周知のとおり米軍ヘリコプターが本学の本館に墜落炎上し、静かな大学の教育環境が一変した。墜落事故の噴煙のすさまじさは、テレビで放映されたニュ―ヨークの9.11テロさながらで、一時は本館に居た職員同士が互いに生存を確かめ合ったくらいであった。大学は直ちに事件対策委員会を立ち上げ、事故の処理に当たった。本館が使用不能になったので本館の事務局を図書館四階に移した。本館に収められていた書類、器具、机等々をすべて事務職員が総動員で図書館に移した。その後、臨時のプレハブの事務棟を建てて再び移った。当時の事務職員の一丸となっての働きは特記に値する。
 事故の翌日から県内はおろか中央から大勢の政治家やメディアの人たちが毎日のようにやってくるようになった。連日、土曜日も日曜日もなく、大学は応対に忙しかった。 大学は、最早自分たちのペースで仕事ができなくなったが、そうした中で、上述の仕事に取り組んで実現させていったのである。このような状況でこれだけの仕事が達成できたのは、教職員の皆さんが一丸となってことに当たったお蔭である。感謝に耐えない。遣り残した仕事は次期学長が引き継いで下さるだろうから、任を退くに当たって些かの不安もない。

※大学全体の収容定員に応じ定める専任教員数(大学設置基準第13条関係)
 2008(平成20)年度の入学試験は、AO入試が8〜9月に、推薦入試及び特別・編入学試験(前期日程)が、11月16日に実施された。さらに、一般入試(前期日程)及び特別・編入学試験(後期日程)が2月6・7日に実施された。AO入試は、志願者数993人に対して、最終合格者数は352人、倍率は2.82倍。推薦入試は、志願者数793人に対して、合格者数は636人、倍率は1.25倍。また、一般・センター利用入試(前期日程)は、志願者数1,416人(一般885人・センター利用531人)に対して、合格者数は705人(一般459人・センター利用246人)、倍率は2.01倍(一般1.93倍・センター利用2.16倍)。さらに、3月6日に実施された一般・センター利用入試(後期日程)については、志願者数271人(一般191人・センター利用80人)に対して、合格者数は106人(一般69人・センター利用37人)、倍率は2.56倍(一般2.77倍・センター利用2.16倍)であった。